代表メッセージ
野の花舎 代表取締役加藤から皆さまへのメッセージです。 様々な想いを知っていただくために、インタビュー形式でお届けします。
福祉の道を選んだ経緯
障害者福祉の仕事に携わるようになったきっかけを教えてください。
障害者福祉の仕事そのものには、野の花舎を立ち上げる前から携わっていました。今年(2019年)でちょうど30年目になります。子どものころ、身近に障害を持った人がいたんですね。学生時代には障害者の方のイベントを手伝ったり、ホームレスの方の支援をしたりと、いろいろな経験をしました。当時、名古屋市の港区や南区は大気汚染による健康被害の指定地域だったんです。その関係で、ぜんそくを持つ子どもたちのための転地療養のキャンプにも参加していました。大学は地元の大学で、物理化学の研究室にいました。でも、学校の勉強はあまりしていなくて。大学にはやりたいことや目標があって入ったわけではなかったんです。理系が得意だったというだけで。
理系大学出身で福祉の道を選ぶという人は珍しいように感じます。
工学部出身の方などもいらっしゃいますよ。私自身は、在学中から大学の勉強よりも福祉全般に関心を持っていました。今思うと、昔の「勉強だけしていればいい」という管理教育的な体制にも反発があったのかもしれません。大学へ行ったことで、さまざまな分野の福祉のことを知ることができたという側面はあります。
野の花舎を立ち上げる以前の、勤めていた頃のことを教えてください。
大学を卒業後は機械設計の仕事に就いて3年ほど勤めました。本当は障害者施設に就職するつもりだったんですが、親の反対もあって。そこでは工場の設備を作っていました。図面を描いたり機械を作ったりと、それはそれでおもしろい仕事でしたけれど、言ってしまえばほとぼりを冷ますために勤めたようなものです。その後、福祉の仕事に携わるようになったのは平成2年(1990年)からです。その後、野の花舎を立ち上げました。
野の花舎をスタートさせたときのことを教えてください。
会社を始めたのは42歳のときです。今年(2019年)で57歳ですので、かれこれ15年ほどになります。最初はヘルパーを派遣するヘルパーステーションとしてスタートしました。ただ、障害の重い方の場合、養護学校の高等部を卒業した後に通える場所がないという問題があったんです。そこで、「卒業後も通える場所を作ろう」ということで身体障害者向けの「さくらそう」を立ち上げました。その後、知的障害者向けの「やぐるまそう」を作ったのも同じ理由です。必要とされて保護者の方とともに作ってきました。
設立当時、社会福祉法人ではなく会社組織としてスタートしたのはどうしてですか?
野の花舎を設立する少し前に法律が大きく変わり、それまで自治体や社会福祉法人しかできなかった内容の仕事が営利法人でもできるようになりました。最初から社会福祉法人を作るのは難しいんです。NPOでスタートしたのち、市の推薦を受けて社会福祉法人になるという道はあったのですが、当時はNPOを作るだけでも半年ほどかかるような状況でした。設立を急いでいたのもあり、そのために有限会社として始めたというのが大きいですね。
福祉の仕事に携わってきて、つらかったのはどんなことですか?
利用者さんが亡くなられるのが一番つらいです。つい最近もありました。20代で、中学生のころから知っている方でした。障害が重い方は、どうしても早くに亡くなられることが多いんです。だからこそ、「人生は長さじゃない」といえる支援をしたいですね。葬儀には本当にたくさんの方が来られていました。そういう光景を目の当たりにすると、みんなで支援してきたんだな、と再確認する思いです。
反対に、やってきてよかったと思えるようなできごとはありますか?
たいしたことはできていません。あえて言うのなら、通う場所を作れたことはよかったと思っています。
野の花舎の最大の強みは、「個性豊かで信頼できる職員」
野の花舎の強みを教えてください。
いい職員が多いことです。長く働いている職員が多いですし、信頼できる人もたくさんいます。それには、もともと知り合いを中心に人の輪が広がっていったという背景も影響しているのかもしれません。最近は求人広告を出したり紹介を受けたりもしますが、自然といい人が集まってきていますね。仕事の性質上、人柄は大切ですから。
職員同士のチームワークや連携も大切ですか?
大切ですね、難しいんですけれど。連携が重要だからといって職員の個性がつぶれてもいけないので。ただ、行き違いがあっても話し合える雰囲気は大事にしたいですね。役員が指導してその場を収めるのではなく、みんなで解決できるような会社にしたいと思っています。
職員さんの個性が発揮されるのはどんなときですか?
たとえば「料理をしたい」という利用者さんがいたとして、そこに料理が得意な職員がいれば内容の濃い支援ができます。利用者さんにも個性や得意・不得意がありますから、それぞれに違うスキルや性格を持った職員がいることで、合う人と出会える可能性が高くなります。スタッフが似たような人ばかりだと、合わなかったときに通うのが苦痛になってしまうでしょうし、さまざまな性格の人がいたほうがいいですね。ただ、個性豊かな人が増えればまとめるのは大変になってきます。方向性をそろえつつも、それぞれの個性を活かせる人が所長になるといいかな、と考えています。
逆にどんなところが課題だと感じていますか?
第一の課題は人材の確保が難しいことです。小さい会社ですので、大手と比べると経済的な条件がいいとはいえません。加えて福祉の仕事は「給与が低い」「きつい」といったマイナス面が一般的に広く知られているという現状があり、求人広告を出してもなかなか応募が来ないのです。大手であれば、人材を確保するために専門の部署や専任担当者を置けますが、うちのように規模の大きくない会社は通常の業務と兼務せざるをえません。そうすると求人業務に十分な時間を割けないなど、やりくりが難しい部分がどうしても出てきてしまいます。
事業を続けていくには変化し続けることが必要
会社の将来像をお聞きしたいです。
今は学校を卒業して10年ほど経っている利用者さんが多く、ご両親の年齢も徐々に高くなってきています。若い時から自分の希望する生活ができるのが理想ですが、現実的には家庭で生活することが難しくなってからどうしようかとなり、グループホームを考えることが多いかと思います。
特に障害が重い人のグループホームというのはあまりないですし、課題も多く、実現には高いハードルを伴います。今は規模の大きな入所施設からグループホームという流れですが、それでも集団生活には変わりないので、難しいという方は出てくるでしょう。
一人暮らしを希望される方もみえますが、現在の福祉人材が不足している状況を変えていかなければ、地域での生活は難しいと思います。
福祉の職場の魅力と必要性をどのように多くの人に伝えて関わってもらえるかが鍵ではないでしょうか?多くの人に関わってもらい、地域生活を支えていけるような会社にしたいと思います。
事業の拡大は視野に入れていますか?
大きくなると事業としては安定しますし、求人面でも有利かなとは思いますが、職員同士の関係が薄れてしまうと思います。そうなると、全員で同じ方向を見て働くのがだんだん難しくなってくる。安定した事業を継続させていくにはある程度の規模が必要とはいえ、大きすぎると荷が重いかなと感じています。
今いる職員さんやこれから入ってくる方に事業を引き継いでもらいたいとお考えですか?
それぞれの事業所の所長は、若い世代の職員に交代しました。何年か後には役員も若い人にしていくつもりです。そうしていかないと継続が難しくなってしまうでしょうね。最初に立ち上げた人が70代、80代になり、亡くなってから手を打つようでは後手に回ってしまいます。社内が混乱し、それで職員が辞めてしまうというのはよく聞く話です。それに、いつまでも上におうかがいを立てて仕事をしていては、やりがいも生まれません。早めに交代しておけば前任者がフォローできますし、万が一のときにはバックアップとして機能します。イメージとしては、40代で所長、50代で役員をやってもらうのがいいかなと。役員が若ければ、新しい発想も生まれます。会社はどんどん変えていかないといけないと考えています。
継続することが重要であり、社会的な使命だということでしょうか?
始めたからにはやめるわけにはいきません。会社を継続させるということのみならず、利用者さんに対する責任もあります。事業を継続させていくためにはどうしたらいいかを考えたとき、こういった考えにいたりました。
最後に、これから一緒に働く仲間になる方に向けて、メッセージをお願いします。
与えられた人生ではおもしろくないと思います。目指す道があるのなら、チャレンジするほうがいいじゃないですか。それが社会福祉の分野であれば、ぜひ一緒に働きたいですね。